村門の出す珈琲。
手挽きである。

珈琲の淹れ方もある。

後日談にはなるが、この淹れ方とゆーやつは
千差万別で、各々にこだわりがある。
ように伺える。
それぞれがそれぞれの、
それはもう。。。

もはや手順を超えて作法に近い。

流派なのかもしれない。

それわタツルさんに至っても同様でして。

しかしながら彼の淹れ方は
他のそれとはルーツが違っていた。

はじめて珈琲の淹れ方を教わった時、

「ペコ、概念の話をしよう。」

「珈琲とはね、カフェインを抽出する作業なのだよ。」

と。
続けて、
「脳は覚醒するためにカフェインを欲しがる。
したがって
カフェインを落とし込めていない珈琲は
どれだけ飲んでも意味はない。
逆に、カフェインが抽出できているものは
脳が美味いと判断するんだよ。」

そうなのだ。
物事には必ず理由があるのだ。

そんなコトを1mmも考えず育った自分としては
かなりのインパクトだった。。。

そう考えると
全ては在るべくして在る的な。
世の中はそうやって回っている。

タツルさんに教わったコトの中でも
自分的に
特に好きな部類の話だったらしく、
よく覚えている。

きっと感動したんだと記憶している。

おかげさまで、、。

以来、現在に至るまで
毎日欠かさず珈琲を淹れている。

未だに
あの日淹れてもらった珈琲ぐらいに
美味いと思える珈琲を淹れれた日は、、、。

もう3年くらい経つケド。

ー続くー

-MUSIC CLUB MURAKADO-

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